Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

金村修ワークショップ 第17期 募集中

マイルス・デイビスは、チャーリー・パーカーに正当な死を与えた。パーカーの死体に何度も生命を吹き込み、豊かなサンプリング宝庫として利用される便利なゾンビみたいな死ではなく、『審判』のヨーゼフ・Kのような人称を放棄した犬死のような死を与えた。記憶の階層にリストアップされないこと。鳥の骨のようにしゃぶり尽くされる解釈という名の収奪に対象化されないこと。犬のように殺されるものにこそ私達は加担すべきだ。誰にも所有されることのない死。死体はいつも誰かに目撃されるためにあるのではない。対象化を拒否する死体。未来のために何度も蘇生されるなんてうんざりする。死体こそがはじまりであり、死は生に先行する。生き返るのではなく、本当に死ぬこと。復活の予約をキャンセルすること。パーカーの死は外傷となり、外傷ゆえに私達は、認知することができず、絶対に現在に生き返ることのない死体になることで、私達を支配し、命令し、強制する。死体を客観化することはできない。死を実体化することができないから。死体は対象不可能なものであり、私達は死体を目撃することができない。死体の側から私達が客観化/対象化されるのだ。死が“私”を位置づける。死は“私”よりも先行する。「文学がはじまるのはロレンスに従えば、ヤマアラシの死とともに、カフカに従えば、モグラの死とともになるのである」(ジル・トゥルーズ『批評と臨床』)金村 修

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