あくまで今アートとして扱われる版画が、かつてメディアであったというだけの話しだ。力をもったメディアが常にアートになりうるかと言えば、そんなことは全くない。かつて蓮實重彦はICC主催のインタラクティブアートのシンポジウムにおいて、新しいテクノロジーを謳歌しているアーティスト達に向って彼等を「誕生期の楽天性」の中にいると揶揄した。今のITは、そのような状況を一通りとおり過ぎたと僕は感じるけれど、通り過ぎたところで何か圧倒的なブレークスルーが見えて来たというイメージはない。ただひたすらな技術の前進が、どこか閉鎖的で自己愛的な幻想の強化に向っている感触もある。この展覧会から、あえてインターネットの状況を見てみるならば、それはアートへの可能性どころか、そもそもメディアやコミュニケーションツールとしてすら成り立っておらず、細分化された敵/味方の分別ゲームの遊戯場としてグロテスクに賑わっているだけで、そこで見られる「前進」や「進歩」は、逆にほとんど幼児化への退行かもしれないという疑惑がある。