Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

訂正

クオリア茂木健一郎氏が

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070728#p8
という記述は、

 あ、その前にちょっと脱線するけど、もう「沈黙=ジョン・ケージ」つう紋切り型の物言いは止めたほうがいいのではないかと思う。「音楽における沈黙といえばケージ“4分33秒”が有名だが....」みたいな書き出しをするのはどうよ、と。

“音響的即興といえば大友” というリファレンスのしかたは、
“ノイズといえばルイジ・ルッソロ
“沈黙といえばケージ『4'33"』” 並みに、
“間違っててなおかつ古い”。

という引用部分と矛盾してました。
クオリア茂木健一郎」という発想、それ自体が粗雑でした。
むしろ「茂木健一郎=アハのおじさん」でした。
おっと、「アハのおじさん」もちょっと微妙でした。

「アハ体験」を名付けたのは茂木氏では無いのではないでしょうか。茂木氏以前から「アハ体験」に相当する言葉はあったと思います。茂木氏が最初に名付けたということを示す出典はどこにあるのでしょうか?220.159.155.232 2007年5月9日 (水) 01:50 (UTC)
ドイツ語版のアハ体験を参考にすると、カール・ビューラーのようですが……。短いので全文訳しますと、
アハ体験〔アハ=エアレープニス〕は、心理学に由来する概念であり、問題に答えようとするなかで急に湧きおこる洞察、ないしゲシュタルト〔形状〕や統一性の突発的な認知を指している。/アハ体験(英語:アハ・エクスペリエンス)という概念は、ドイツの言語心理学者および言語理論家のカール・ビューラーによってつくられた。これに対する別の英語表現は、ヘウレーカ〔ユーリカ〕の瞬間、ないし急に点灯する電球の漫画絵を思い浮かべるような白熱電球の瞬間である。
といったところでしょうか。Shaz 2007年5月16日 (水) 18:43 (UTC)
文部省、日本心理学会は、遅くとも1986年には、aha experienceに相当する用語を「アハー体験」としています。宮本忠雄は、1972年にラカンの「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」を訳した際、Aha-Erlebnisを「あはあ体験」としています。後者のほうの注には、この用語がカール・ルートヴィヒ・ビューラー(Karl Ludwig Bühler, 1879-1963)のものであることが書かれています。
文部省・日本心理学会 『学術用語集:心理学編』 日本学術振興会、東京、1986年。 ISBN 4818186023
ラカン、J 『エクリ I』 宮本忠雄・竹内迪也・高橋徹佐々木孝次(訳)、弘文堂、東京、1972年。 ISBN 4335650043
いずれにせよ、茂木が最初ということはないと思います。Shaz 2007年5月16日 (水) 19:09 (UTC)
問題の部分を編集したものです。ごめんなさい、前の版と同じ内容を書いたつもりだったのですが、大嘘を書いてしまったようです。該当部分は修正します。j8takagi 2007年5月24日 (木) 15:09 (UTC)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E
ってことで、暫定的に「茂木健一郎=カルチャー・コメンテーター」とかが適当かもしれません。
つか、「等号で結ぶな!」ってハナシかもしれませんね。
ここに訂正し、謹んでお詫び致します。ペコリ。


今後も、こうしたミステイクを厳重に受け止めながら、
改めるべきことは改めながら問題点を克服し、
前向きに善処していきたく思う所存で御座いますですよ、
ワタシは、はい、正味なハナシ、ええ、本当に、誠に。


そういえば、茂木健一郎氏は意識的にか無意識的にかわかりませんが、
クオリアを自分が考案した概念のように語ることが多いのは何故でしょうか。

「何となく新しく面白そうな(その実、ずいぶん古く、ほとんど面白くない)価値観を、何にも知らない一般人にプレゼンテーション」という皆さんご存知のアレ

http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=070804023322
というわけでもないんでしょうけども。。。*1


クオリア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

*1:ウェブ上のさまざまな音源を聴いたかぎりでは、お客さん(聴衆)によって、
  クオリアを自分にひきつけて語る場合と、そうじゃない場合を使い分けているような?