Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「ない」にふちどられるゆえに「ある」がある

「ない」がなければ「ある」があることはない
「ない」があるとは「ない」に「ある」がありえることである
「ある」がありえない「ない」は「ある」をふちどる「ない」ではない
「ない」にふちどられた「ある」を「ない」とみなすことで
「ない」に「ある」があらわれ「ある」が「ない」になる
「ない」になりえない「ある」はないが
「ある」がありえない「ない」はありうる
「ある」がありえない「ない」に「ある」をみいだすには
「ある」がありえない「ない」を「ある」でふちどればよい
しかし「ある」がありえない「ない」は「ある」をふちどる「ない」ではない
つまり「ある」がありえない「ない」と「ある」はとなりあうことがない
「ある」が「ある」のままでは「ある」がありえない「ない」をふちどることはできない
ゆえにまず「ある」をふちどる「ない」を「ない」としながらも
「ある」と「ある」をふちどる「ない」をともに「ある」とみなし
その「ある」によって「ある」がありえない「ない」をふちどることがもとめられる
そこでつぎに「ある」を「ない」とみなすことなく
「ない」に「ある」をみいだしつづけることがもとめられる
これがかのうとなるには「ある」とみいだされる「ある」のあいだに
あるつながりがみいだされなければならない
このふたつをみたすことで「ある」がありえない「ない」に
「ある」すなわち「ない」になりえないことのない「ある」をみいだすことができる
とはいえ「ある」がふちどった「ない」が「ある」がありえない「ない」ではないこともある
だからといってそれをむだだとはみなさないこと



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