Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

おさらい・再読・メモ

リテラル、まさにそのままということを巡る問いかけ│今村創平 - 10+1 web site
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/2006/06/13210455.html


◇ 写真とカラー・フィールド・ペインティング ―マイケル・フリードのジェフ・ウォール論 甲斐義明 - off the gallery
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/RE/kai/kai03.html


◇ 『カラー版 20世紀の美術』(連載)「7 抽象表現主義からミニマル・アートへ」 - 中村英樹の美術批評
http://www.alles.or.jp/~aura/articles/1999/0009.html
http://www.alles.or.jp/~aura/


◇ Conceptual Art: A Critical Anthology (edited by Alexander Alberro and Blake Stimson)
http://www.amazon.co.jp/dp/0262511177


◇ Clement Greenberg - Sharecom Industries Ltd.
http://www.sharecom.ca/greenberg/


◇ モーリス・ルイスとクレメント・グリーンバーグ__往復書簡の分析を通した1950年代アメリカ美術と美術批評の再検討(加治屋健司)
http://neotrad.jp/text.kajiya/05.html


◇ 誤作動する武器__クレメント・グリーンバーグ、文化冷戦、 グローバリゼーション__(加治屋健司)
http://neotrad.jp/text.kajiya/02.html


◇ 絵画の危機、彫刻の優位 1940年代末のクレメント・グリーンバーグ(近藤學)
http://neotrad.jp/text.kondo/01.html


◇ 批評空間 ― critical space/1995 臨時増刊号 - MILBOOKS -online book seller-

[特集] モダニズムのハード・コア 現代美術批評の地平
[監編著訳] 柄谷行人 浅田彰(編集) 
[デザイン] 東幸央 興松良昌(写真) 渡辺總子(速記)(ブックデザイン)
[発行所] 太田出版 [シリーズ名] 批評空間
[発行年] 1995年
[構成数] 1冊
[サイズ] A5
[ページ数] 347P
[コメント] 共同編集:浅田彰岡崎乾二郎松浦寿夫


[目次・構成・収録・内容(一部抜粋)]
I 共同討議 磯崎新柄谷行人浅田彰岡崎乾二郎


II モダニズムの理論 グリーンバーグからクラウスまで
モダニズムの絵画 クレメント・グリーンバーグ
抽象表現主義以降 クレメント・グリーンバーグ
芸術と客体性 マイケル・フリード
モダニズム政治学クレメント・グリーンバーグの芸術理論 T・J・クラーク
モダニズムはいかに作動するのか T・J・クラークへの反論 マイケル・フリード
モダニズムに関する論議 マイケル・フリード T・J・クラーク
1967/1987 芸術理論の系譜学:ミニマリズムとポップ以降の美術論 マイケル・フリードロザリンド・クラウス/ベンジャミン・ブクロー
ディスカッション:ミニマリズムとポップ以降の美術論 マイケル・フリード+ベンジャミン・ブクロー+ハル・フォスター+ロザリンド・クラウス+ダグラス・クリンプ+ジョン・ナイト+マーサ・ロスラー+ベリー・アンダーソン+アーヴィング・サンドラー+アンドリュー・ロス
視覚的無意識 ロザリンド・クラウス
インタビュー:モダニズム以降 ジョゼフ・コスースに聞く  浅田彰


III モダニズムの再検討
経験の条件 岡崎乾二郎
美術館のなかのひとつの場所 松浦寿夫
美術史の曖昧な対象 衰退期について  田中純
「透明性」の内部丸山洋志
セミナー:モダニズムの再検討 岡崎乾二郎田中純+丸山洋志+浅田彰松浦寿夫

http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK050806
http://www.milbooks.com/


◇ 『オリジナリティと反復』R・クラウス The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/k_t/originality_of.html


◇ 『反美学――ポストモダンの諸相』H・フォスター The Anti-Aesthetic: Essays on Postmodern Culture
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/k_t/anti-aesthetic.html


◇ 『反美学―ポストモダンの諸相』(勁草書房

さて今や、フーコーの言葉づかいを借りて分析されるべき、もうひとつの監禁制度―美術館―および科学―美術史―が存在する。
それらは、われわれが近代芸術という名で知っている言説を可能にする前提条件なのである。
モダニティの意味と解体を探り、ポスト・モダンのゆくえを示す。


序文 ポストモダニズム(ハル・フォスター)
1 近代―未完のプロジェクト(ユルゲン・ハーバーマス
2批判的地域主義に向けて(ケネス・フランプトン
3彫刻とポストモダン―展開された場における彫刻(ロザリンド・クラウス
4 美術館の廃墟に(ダグラス・クリンプ)
5 他者の言説―フェミニズムポストモダニズム(クレイグ・オーウェンス)
6 ポスト批評の対象(グレゴリー・L・ウルマー)
7 ポストモダニズムと消費社会(フレドリック・ジェームソン)
8 コミュニケーションの恍惚(ジャン・ボードリヤール
9 敵対者、聴衆、構成員、そして共同体(エドワード・W・サイード


ハーバーマスの「近代=未完のプロジェクト」をうけ,建築,彫刻,絵画,写真,音楽,コミュニケーションの現場における変化/ポスト・モダン状況を論じる。

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=9784326151912


◇ スーザン・ソンタグ『反解釈』(ちくま学芸文庫
http://www.amazon.co.jp/dp/4480082522


松岡正剛の千夜千冊 『反解釈』スーザン・ソンタグ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0695.html


◇ 00007:キッチュに関して見直すべき時期か…。 2008/04/08 - Ar-ban Blog.com

そういえば、日本でもキッチュ論を述べている本として石子順造氏の『マンガ芸術論−現代日本人のセンスとユーモアの功罪』や『キッチュの聖と俗−続・日本的庶民の美意識』『ガラクタ百科−身辺のことばとそのイメージ』を思い出した。グリーンバーグマクルーハンの西洋的な例を挙げるまでもなく日本にもキッチュはあるということなのだろう。残念ながら彼は上記の人達を後期の論考の中で例に挙げていますが…。


ちなみに彼の論考では、キッチュとは、観者が見たこともない異様なものか、ありえない組み合わせのものであろうと述べている。つまり、作品に話を絞れば、個人(観者)の中にある伝統や習俗といった前近代的な呪術的な規律(こういう映画の見方はお勧めではないですけど、簡単に理解したいならナイト・シャマラン氏の『ヴィレッジ』を参照下さい)が前提となった生活に今日的なもう一面をそこに突然挿入することによって表現として見えてくるものと言える。ただし、石子氏の論考では銭湯の富士山の絵などを例に挙げているので、キッチュという言葉には作家の意図的かどうかが関わるかという意識の問題は残念ながら見えてこない。

http://kaneghoon.no-blog.jp/blog/2008/04/0000720080408_978b.html


キッチュ論 石子順造著作集 第一巻 - 古書古本Totodo
http://totodo.jp/SHOP/B1-020.html


◇ 玩具・キッチュ研究:「情報キッチュ論」(1994年度学部卒業論文) - 戦後日本文化と建築意匠の相関の研究:森川嘉一郎
http://homepage1.nifty.com/straylight/main/kitch.html


◇ 限界建築論(1) - 49%-Question

超絶的に面白い石子順造の「キッチュ論ノート」「模型・模造の美学」「『芸術品のぼろ』の論理」によれば、キッチュとは「伝習的な一面と今日的な他面とを同時にあわせもちながら、生活←→表現←→文化と相互にわたる曖昧だが確かな意味・価値のカテゴリーが、この語によって、かろうじてその幅と厚みにおいて言い当てられる」ものである。例えば、銭湯に必ず描かれている富士山などの背景画や、謎めいた古い商店の看板、手書きの小絵馬などは、「大衆」の中に脈々と伝承されている民俗学的・呪術的側面(ex.柳田国男)の表出であり、それはキッチュの「伝習的な一面」である。一方で、有名女優のピンナップ写真や大衆雑誌の表紙絵、ダサい広告やテレビCMなどは、現代的なメディアの中で発展してきた表現であり、キッチュの「今日的な一面」である。彼はグリーンバーグの論文「アヴァンギャルドキッチュ」を例に挙げながら(その他にもローゼンバーグ『新しいものの伝統』やマクルーハン『機械の花嫁』、ソンタグ『反解釈』などにおけるキッチュという用語の使用例をチラつかせながら)、「近代」の価値観を対象化し、それを乗り越える「現代」的な価値体系を生み出し得るものとして、このキッチュという言葉に注目を寄せる。

http://question49.blogspot.com/2008/04/blog-post_05.html


グリーンバーグモダニズムの絵画」 グリーンバーグ講義ノート 1/2 - 藤川哲の授業用サイト
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/cg/greenberg02.html
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/cg/greenberg03.html


グリーンバーグ「抽象表現主義以後」 グリーンバーグ講義ノート 1/2 - 藤川哲の授業用サイト
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/cg/greenberg05.html
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/cg/greenberg06.html


◇ クラウス『オリジナリティと反復』 クラウス講義ノート 1/2/3 - 藤川哲の授業用サイト
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/rek/krauss03.html
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/rek/krauss04.html
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/02/gr/rek/krauss05.html


◇ 第78回例会報告 アクションペインティングの変容とその政治経済的条件について 発表:神戸大学博士課程 平田思 - 広島芸術学会

 まず、ローゼンバーグがアクションペインティングの概念を打ち立てた動機として、共産主義への失望によって社会的に疎外されていた同時代のアメリカの知識人やアーティストたちの救済が挙げられる。今日の一般的なアクションペインティング解釈が論拠とする1952年の論文「アメリカのアクションペインティングの画家たち」で、未だ共産思想を捨てきれずトロツキスムに希望を託していたローゼンバーグは、革命の主体をプロレタリアートから画家に置き換え、当時アメリカの美術界で台頭してきた制作プロセスを強調するアヴァンギャルドにおいて、アクションペインティングという概念を打ち立てた。氏は、こうした概念をやはり政治的文脈において読み解くことで、描くという行為性に「日々の画家の行為は革命のための出来事を引き起こす行為」であり「過去のあらゆる価値を否定する」という革命的な文脈を読み取っている。こうした解釈からは、個人の自由を保障する新しいコスモポリスとしてのアメリカの創造というユートピア思想を読み取ることが出来る。
 しかし、この革命的な概念は実際的な有効性を持ちえず変容を迫られた。氏は、その政治的背景として、アメリカ型アートの売り込みによる文化におけるヨーロッパからのヘゲモニーの獲得を挙げている。こうした政治的動向から、ヨーロッパのモダニズムの影響が大きい作品は当時のアメリカの美術市場から締め出され、独自のスタイルを獲得したアーティストだけが生き残ることになった。1950年頃からアメリカ美術界に台頭した「製作過程を重視するアヴァンギャルド」もそのひとつである。このアヴァンギャルドイデオロギーの動向の中で、アーティストたちは革新的な制作に没頭するとともに必然的にアメリカの帝国主義的な動向とシンクロするという逆説的な立場に立たされることとなった。更に氏は、その理由として抽象表現主義者とWPAとの関係、抽象画の購買層である中産階級の台頭、新進アーティストが抱いた一攫千金の夢の三点を挙げて説明している。
 こうした社会的な動向から、ローゼンバーグは1969年の著作『美術作品とパッケージ』において以前のアクションペインティングの概念に修正を加えている。彼自身が上述したアメリカ資本主義に同化することによって共産主義的思想を取り下げ、具体的な作家を明示してアクションペインティングと他のアートとの関連を語ることで、アクションペインティングは単に美術の領域における表現形式の問題として扱われることが可能になった。加えて、イデオロギーとしてのシュルレアリスムとの違いが明らかにされることで、アクションペインティングが持つ特色としての個人の自由が主張された。氏はさらにこのことについてデ・クーニングの《女?》とポロックの《ナンバー30:秋のリズム》といった具体的な作品を比較し、冷戦構造下のアメリカにおける個人主義の一端としてのアクションペインティングの特異性にまで考えを巡らせている。

http://www.art-hiroshima.com/LAH/kaihou92.htm