Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ

◇ 福居伸宏 Nobuhiro Fukui(@n291)/2012年10月10日 - Twilog

プリズム(1976-77年)の初期メンバーは、谷口雅、桑原敏郎、住友博、平木収、小部俊裕、阿部棟也、守屋裕司、吉村礼仁、牧田アダン、重松一穂、野村三郎、棟近好一の12人。

“「プリズム」は桑原甲子雄の企画展に始まり、ロバート・フランク、田村シゲル(彰英)、山崎博を経て、〈コンポラ写真〉ということばを普及させた大辻清司の個展で終わる。”『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976‐83』金子隆一島尾伸三・永井宏 編より

OWL(1979-81年)の初期メンバーは伊藤義彦、大谷正広、島尾伸三ほか。主要メンバーは、伊藤義彦、岩岸修一、笹谷高弘、田口芳正、長原正雄、服部則仁、平島彰、矢野彰人、渡辺博。ワークショップには、平木収、金子隆一、横江文憲、矢田卓、小笠原隆夫、飯沢耕太郎らがゲスト参加。

OWLで展示を行った作家に、津田基、長船恒利、田村彰英山崎博、土田ヒロミ、谷口雅、住友博、大西みつぐ小林のりお伊奈英次潮田登久子、北島敬三、永井宏、鈴木秀ヲ、飯田鉄など。長船恒利&谷口雅、潮田登久子島尾伸三の2人展を開催。1981年には小林のりお伊奈英次が個展を開催。

“「自主運営ギャラリー」ということばは1980年ぐらいにもなると、あまり使われなくなり、1979年、青山に誕生した「OWL」は、すでに誰もその様な呼び方をしなくなっていた。「OWL」を運営していた若者たちも、このことばを口にすることは少なかった。そうこうするうちに、やがてこの

…)ことばは忘れられていった。/1980年代に入り写真のプリントを売る画廊が生まれだすと、作家性を強調する作品がつくられ、運動としての社会的な意義、写真表現の持つ社会性などが放棄されていった。”『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976‐83』より

メモ。「LUNA HOUSE」→「FROG」→「MOLE」→「はこだてフォトアーカイブス」。大阪の「写真塾」→「リトルギャラリー」(阿部淳など)。永井宏、谷口雅、島尾伸三による「アッサンブラージュ・フォトグラフィ」に伊藤俊治も参加し、写真作品を発表(1985年以降)。

永井宏と島尾伸三は「アッサンブラージュ・フォトグラフィ」第4回展(1982年 At Gallery/原宿)で写真作品によるビデオ・インスタレーションを発表。会場にはビデオ・モニターのみが設置され、プリントが展示されない写真展だった。会期中、ジャズ(インプロ)のイベントなども開催。

メモ。東京のZEIT-FOTO SALON(ツァイト・フォト・サロン)は1978年開廊。大阪のPicture Photo Space(ピクチャー・フォト・スペース)は1984年開廊。

『カメラワークス』1号(1978年)には「コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって」展(66年 ジョージ・イーストマン・ハウス)の序文を掲載(訳は平木収)。9号(82年)には畠山直哉「等高線」を、10号(83年)には小林のりお「ラストホーム」を写真集形式で掲載。

【本当のところ関口正夫 牛腸茂雄『日々』(1971年4月1日発行)に「黒フチ」付きの写真は何点掲載されているか?】http://t.co/qhUoNhXp 【訂正:畠山直哉さんの『等高線』(1981〜1982年)には黒フチがありました。】http://t.co/BdtrqcHu

http://twilog.org/n291/date-121010/asc