◇ 原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって: 鈴城 雅文: 本 - Amazon.co.jp
読まれるべき本は此処に在る。, 2005/6/9
By カスタマー
現在日本で出版されている写真評論の文献を読むと、そのほとんどが「だからこの人は写真家にはなれなかったのだ」と妙にしらける。その反面、「写真家になれなかったから評論家になったのか」という思いも生まれる。何故ならそれは、写真を撮る側の心理を評論家自身が全く分かっていないからだ。写真を撮る側の心理も分からずに、果たして写真評論は出来るのか?
ある有名な写真評論家は、「僕が写真家になれなかったわけ」、という文章を発表している。・・・だがしかし、「写真家」になれなかったわけを自白することは、同時に「評論家」にさえなりきれていないことを公言しているようにも感じる。何故なら撮る者の心理が分からぬ者が、何故写真評論など出来るものか。
その点この『原爆=写真論』の著者、鈴城雅文氏の文章は全く逆である。「何故この人は写真家にならなかったのか?」と思わせるぐらい実に的確に写真家の心理を読み当てている。その鋭さは他の評論家を寄せつけない。むしろ写真家に怖ささえ与えるほどである。何故なら安易な作品づくりは、いとも簡単に彼の目には見抜かれて、作家自身の命とりにもなるからだ。
だがそういった怖さからくる写真家と評論家との緊迫した関係が、互いが互いを刺激し、より高度な写真文化を日本にもたらすのではないだろうか。
多くの写真家、そして写真家を目指している若者、更には社会に迎合して甘んじている写真評論家に、この一冊の本を読して欲しい。
http://www.amazon.co.jp/dp/489625077X
-
-
- -
-
◇ アマチュア写真家 - 砂漠の住人:徳畑祐司のギャラリー
かつて「写真家になる(株式会社メタローグ)」という本の中で執筆者の一人である飯沢耕太郎さんが「僕が写真家になれなかった理由」という記事を書かれていました。シチュエーションは少し違いますが本質的によく似ていると思います。(注・飯沢さんは写真評論家ですから「なれなかった」という表現は謙遜して書かれている面があるとは思います。)
http://www5.plala.or.jp/desert-fun/essay2/Photographer1/photographer1.html
http://www5.plala.or.jp/desert-fun/
こんなページを発見。
上記レビューに書かれている「ある有名な写真評論家」とはひょっとすると飯沢耕太郎さんのことでしょうか?
飯沢耕太郎さんは、かつて写真も撮っていたし、詩人として詩なんかも書いていたはずが。。。
◇ 019.写真評論家 飯沢耕太郎 - 文化会議
以前は詩も書いていたんだけれどね(笑)。大学時代、『螺旋』という同人誌があって、『現代詩手帖』にも詩を投稿していて、名前は一部では知られていたんですよ。
http://www.bunka-kaigi.com/archives/002special/019_1/
いわゆるポエムではなく、現代詩を書かれていたようです。
-
-
- -
-
>>>鈴城雅文『原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって』
◇ 20050923 試評 土屋誠一 - off the gallery
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/tsuchiya/010/01.html
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/tsuchiya/010/02.html
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/tsuchiya/010/03.html
◇ 長崎の皮膚――東松照明の『<11時02分>NAGASAKI』を読む―― - Grapefruit Juice
http://www.tcn.zaq.ne.jp/akbew603/grapefruit/essay/bigaku.htm
http://www.tcn.zaq.ne.jp/akbew603/grapefruit/
林田新さん(id:Arata)の第58会美学会全国大会(於:北海道大学) 発表要旨。
>>>見ることの倫理 調文明 - off the gallery