Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再々録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070422#p5)

多和田葉子「ドイツで書く嬉しさ」(1996)

 もうひとつ嬉しいのは、ドイツには女性の作家が成長できる環境があるということ。日本の方が若い女性はデビューしやすいが、それは「感性」というものが誤解されているからに過ぎない。感性は思考なしにはありえないのに、考えないことが感じることだと思っている人がたくさんいる。だから、ものをあまり考えず、世界を身体でとらえ、ミズミズシイ感性とかいうものを持っていることにさせられている若い女の子が書いた小説、という腰巻きをつけられて小説が売られる。腰巻きなどというものは下着としては時代遅れであることは誰でも知っているのに、書物にこのような内容の腰巻きを付けることが時代遅れであることには誰も気が付かない。
 そもそも日本のように、女性の文芸評論家がほとんどいないというグロテスクな環境で小説を書いていくのは大変なことだ。自分の作品を読んで受けとめて投げ返してくれる同性がいない環境で成長するのはとても難しい。
 もうひとつ、これは男女にかかわらず、日本では売れる売れない、ということがデータとしてではなく、一種の価値観として通用してしまう。本が売れればその作家は庶民の心が理解できていると思っている人もたくさんいる。庶民の心を理解するのは政治家の仕事であって、小説とは関係ないのに、そもそも自分自身を庶民などと呼ぶ人間は大抵、面倒くさいからものを考えるのをやめた知識人であることが多い。勉強したくてもできない環境にある人間がたくさんいる今の世界で、せっかく長々と学校に通わせてもらったのに、自分のすぐに理解できないものに出会うとすぐ難解だとケチをつけるのは、単なる怠慢。

『カタコトのうわごと』(青土社)より
http://www.amazon.co.jp/dp/4791763300


http://d.hatena.ne.jp/n-291/20061203#p4


◇ 2045年〜50年? - 葉っぱの「歩行と記憶」
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070420