Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

外の雨音に合わせて杉本拓さんの『Live in Australia』を聴く

◇ 杉本拓 - Live in Australia

Disc 1
Dot (73) 72:24
ライヴ録音:マシュー・アール、2003年9月12日オーストラリア、シドニー「Performance Space」


Disc 2
Music for Amplified Guitar 62:20
ライヴ録音:ローレンス・イングリッシュ、2003年9月13日オーストラリア、ブリズベイン「ジュディス・ライト現代美術センター、Nine Hours North」
杉本拓:作曲、ギター


演奏中ほとんど音を出さず無音が全体を支配する超寡黙ギタリスト、杉本拓は即興演奏家、作曲家として世界的に高い評価を得る一方、激しい賛否両論を引き起こす音楽家でもある。本作は彼が2003年9月にオーストラリアで行ったライヴ演奏(彼自身の作曲作品)2曲を、各ディスクに1曲ずつ収録したCD2枚組。杉本のライヴ演奏では、観客の咳や足音、イスを引きずる音、会場の外から漏れてくる音など、周囲で起こる様々な音が否応なしにはっきりと飛び込んできて、たまに発せられる杉本のギター音とあたかも共演しているかのような状況を生み出す。本作でもそれは明らかだが、特にDisc 1 では、始まってすぐに降り出した通り雨が次第に激しさを増して、ホワイト・ノイズのようにザーッという音で全体を埋め尽くし、そのノイズをバックに杉本が短音をそっとつま弾くというハプニングが記録されている。杉本の音楽観をよく反映した彼自身の筆による3,000字を超える長文のライナー・ノートも収載。杉本拓の音楽を知る絶好の1枚であるばかりでなく、現在の即興音楽や作曲のあり方への問題提起となる重要作。

http://www.japanimprov.com/imjlabel/524-5/index-j.html
スピーカーからの音(録音された雨音や物音も含む)よりも、
現実の雨音の方がニュアンスに富んでいて圧倒的にリッチ、
しかし、それでもなお、音(dot)と音(dot)のあいだに生まれる吸い込まれるような感覚と圧力には、
やはり何か他ジャンルの創作にも使えるようなヒントが含まれているように思います。


◇ 【CD聴くベ】杉本拓「Live in Australia」- 音楽・KDM・意識・BLOG

まるで雨音のようなホワイトノイズだな、と思っていたら、ホワイトノイズのような雨音だった(^^;)。CD1、そしてCD2と、その雨音を含め、会場で生起したあらゆる物音が収録されている(2枚は一続きではないけどね)。
身じろぎ、くしゃみ、足音、遠くのサイレン。それらとほとんど同列の音として杉本拓さんが奏でるほぼ単音のギターが時折思い出したかのように聞こえてくる。

http://kdmhp.cocolog-nifty.com/kdmblog/2005/07/cdlive_in_austr_6d69.html


>>>杉本拓 CD『Live in Australia』ライナーノート(2004年7月)

「音は正直だ」とか「自己超越としての表現」とか「聴覚を研ぎ澄ます」、「空間的」だのの実際は何を言っているか分からない「言葉」の一群があって、これらはある種の音楽と対応しています。すべてではありませんが、「即興演奏」──以下、私の扱う問題は即興とその周辺に関してのものです──と言われるものの多くは特に、これら「何を言っているか分からない言葉達」との格闘から逃れることが困難になっています。これらの「言葉」の示す特徴が即興界の微妙なジャンルを規定しているわけです。だからどんなことをやっても、結局そういうものになってしまう。言葉や言語から「音」を引き離す、実はこれ結構難しいんです。完全にそれをおこなうことは多分不可能でしょう。ならば、言葉や言語化を戸惑わせたり、ためらわせたり、つまずかせたり、突き放したり、つまりお互いがリッチになるような関係、そういうのを発見すべきなのかもしれません。

http://www.japanimprov.com/indies/imj/liveinaustralia/notes-j.html


大友良英のJAMJAM日記別冊 連載「聴く」第12回
http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/diary/diary-kiku13.html


◇ 沈黙の哲学について  2005年11月29日 杉本拓
http://www.japanimprov.com/tsugimoto/tsugimotoj/essay3.html

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070728#p6


>>>杉本拓さんのはてなダイアリーより+α

◇ 色々思うこと - gesubanchoの日記

多様性。音楽の世界に限っても私はこれが信じられない。そんなに様々な音楽が本当にあるとは思えない。音楽の種類の違いは(おおまかな音楽の違いも、同一ジャンル内の些細な違いも)、それを選ぶ個人の趣味志向によって対応しているだけであって、扱われ方に大きな違いはない。装飾品か、慰みを与えてくれるものか、薬か、ひまつぶしのネタか、知的好奇心の対象か、そんなもんではなかろうか。人がA(の音楽)の方がBより優れているという時、それはその人にとってAのほうが、例えば、美しく感じられるか(装飾品として)、気持ち良く感じられるか(慰安として)を言っているのではないのだろうか。もちろん質の問題はある。手打ちの高級そばと立ち食いそばでは明らかに高級そばの方が質が高い。にもかかわらず立ち食いそばを選ぶ人もいるのである。また、高級そばにも様々な質があり、それは立ち食いそばでも同様である。経済的な問題が選択肢の幅を狭めているということは無視できないが、少なくとも同一のジャンル内では何を選ぶかは趣味指向にかなり委ねられている。音楽も同様である。ここを突破できるのだろうか。

一つの方法は音楽を使って別の何かをやることである。これはメッセージを音楽によって伝えると言うことを意味しない。今日の音楽はますます音楽のための音楽になってきている。そしてその役割は先に書いた通り。それらにあてはまらないものを作ることが可能なのは音楽の形を借りた違う何かではないかと言う気がする(かつての音楽とはむしろそういうものだったのではないのか)。このやり方から生まれるものは様々な外見を持つだろうが、それらひとつひとつがジャンルを形成するようになっては失敗だろう。ここで問われるべき質は音楽におけるそれではない。しかし、そこから生まれるものが真の多様化に結びつくのかはまだ分からない。

http://d.hatena.ne.jp/gesubancho/20090220/1235134178

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20091208#p8


※過去の杉本拓さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BF%F9%CB%DC%C2%F3