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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 文芸批評家 福嶋亮大の書評ブログ

著者の佐々木中氏は『夜戦と永遠 フーコーラカンルジャンドル』(2008年)という大部の思想書で、注目を集めた。本書でも特にルジャンドルが重要な導きの糸となっているものの、主題はあくまで「文学」に据えられている。
では、佐々木氏の文学観はどのあたりにあるのか。彼の語りは一種憑依型で、独特のリズムがあるが、言わんとすることは比較的単純である。すなわち、無味乾燥な「情報」の摂取にまで切り詰められた読書行為を、徹底して身体的で崇高なものとして捉え返すこと、これである。佐々木氏にとって、それはほとんど、読めないテクスト(聖典)を読み、しかも書き換えるという逆説的行為に近い。ゆえに、文盲であったムハンマド、読むことを「祈りであり瞑想であり試練である」といったルターが高く評価される。あるいは、ダンスや音楽を通じた「革命」が志される。


逆に、本書では、「情報」に対する攻撃が惜しまれない。佐々木氏は、ルジャンドルの言う11〜13世紀の「中世解釈者革命」が、すでに情報理論を先取りしていたと見なした上で、こう述べる。

「すべて」が情報である、だなんて、もう八〇〇年も延々やっているわけですね。それがみんな新しいと思っているわけでしょう。滑稽です。もうデータベースなんてうんざりなんですよ。そんなもの面白くも何ともない。八〇〇年前の革命に縋りつづけようだなんて、一体反動なのはどちらなのか。ここから何も変化はなく、ここから脱出する術はない、と。そんなことは無い。ありえない。創り出したのが人間なら、われわれ人間はそこから抜け出すことだって出来るはずだ。必ず、必ずね。(159頁)


もっとも、こうした議論の運びに対して、僕にはいくつか異論もある。それはもっぱら、「情報」について

http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukushima/archives/2010/12/post.html


※過去の福嶋亮大さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%CA%A1%C5%E8%CE%BC%C2%E7