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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ:小原真史監督作品『カメラになった男 写真家・中平卓馬』とホンマタカシ監督作品『きわめてよいふうけい』

◇ カメラになった男 写真家・中平卓馬 - CINEMA TOPICS ONLINE:シネマトピックスオンライン

カメラになった男 写真家・中平卓馬
2007年6月16日(土)〜7月6日(金)にてシネマアートン下北沢にて公開


2003年(2006年初公開)/日本/カラー/DV/91分
配給:シネマアートン下北沢


解説
1970年前後に、カリスマ的な写真表現の旗手として脚光を浴びた中平卓馬の現在を追うドキュメンタリー映画。中平は、現在日本を代表する写真家の一人である森山大道と切磋琢磨し、その先鋭的な写真と言葉によって、当時の若者らに大きな影響を与えていたが、1977年に病いに倒れ、過去の記憶と言葉の大部分を失った。以後、「伝説の写真家」と呼ばれ、表舞台から姿を消した。その後の中平は、20年以上 毎日、横浜の自宅周辺を撮り歩く行為を続けている。

 本作は、今回初監督の小原真史が、ビデオカメラを片手に、中平の毎日に3年近く密着、記憶と言葉を喪失した中平が今、毎日の撮影を維持し、カメラと共にどのように世界と向き合っているのかを探る。中平のつぶやきを丹念に拾い、以前通っていた沖縄へ記憶の輪郭をなぞるように出発する中平の姿を追うことで、失われた記憶へと至る回路を浮かび上がらせていく。


スタッフ
監督:小原真史
製作・編集・撮影・録音・整音・字幕:小原真史
編集協力:小宮山良太、長谷川善威
音楽:ブリジット・フォンテーヌ
演奏・歌:宮良康正
詩・朗読:高良勉
音協力:山川冬樹
映像提供:春日聡


※「本ページの文章は、プレス向け資料をそのまま掲載しており、加筆はしておりません」

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8016


◇ きわめてよいふうけい - CINEMA TOPICS ONLINE:シネマトピックスオンライン

きわめてよいふうけい
2004年6月5日よりユーロスペースにてレイトショー


2004年/日本/16mm/カラー/40分/
配給:リトルモア、スローラーナー


解説
見つめる、つづく、生きてゆく

監督のホンマタカシは、現代の東京を代表する写真家として、広告、雑誌等で活躍し、1998年にはカラー写真集「東京郊外 TOKYO SUBURBIA」(光琳社刊)で木村伊兵衛賞を受賞した。その名の通り、東京の郊外の町並みや住宅、少年少女を撮影したそれらの写真は、どれもみな同じようにクリアーでフラットだ。叙情とか感傷が皆無なそれらの<風景>は、いまおそらく最も“リアル”な<風景>として、若い世代を中心に強い支持を集めている。

そのホンマタカシが今回監督としてカメラを向けたのが、伝説的な写真家、中平卓馬だった。

中平卓馬は60、70年代、各方面で新しい波が起こり始めていた頃、先鋭的な言葉と写真によって、既存の写真表現を否定した。頭が良くて、鋭い言葉を最大の武器に、時代を挑発し、同時にリードし続けた、すごい写真家だった。
1977年9月11日。
パーティーで酔いつぶれた中平卓馬は、昏睡状態になった。
その後意識を回復したそのとき、過去の記憶をいっさい失っていた。

それから。
ふたたび写真を撮り始めた中平卓馬は、1983年に写真集「新たなる凝視」を刊行する。そして昨年、横浜美術館にて、初の本格的な個展「原点復帰−横浜」をおこなった。

過去を失ったことにより揺らいでゆく「いま」。
中平卓馬の「現在」。
一見穏やかに見えながらも、一日一日をかろうじて繋いでゆくようなその生活を、ホンマタカシは静かに静かに、見つめてゆく。

中平卓馬。何かと闘いつづけている、その全存在で。


映画は冒頭、中平卓馬が自身の日記を音読するシーンからはじまる。画面にはその日記が全面に映しだされる。ほとんど聞き取ることが不可能なほど細く低くしわがれたその声は、不確かな今日をひとつひとつ確かめる呪文のように、続く。そしてその文字は、切れ切れの生をかろうじて繋いでゆくように、きりきりと尖っている。


けれどそこに映っているのは、一見、おそろしいほど穏やかに毎日を繰り返す、中平卓馬「日常」であった。起きる。食事をする。日記を書く。写真を撮る。 ――今日が終わり、明日が始まり、また今日になる。そのエンドレスな日々を、ホンマタカシは飽くことなく、むしろ、日々驚き愛おしむように、そのカメラを向けてゆく。


沖縄で、水を得た魚のように話し動く中平卓馬
森山大道が語る、あの頃の中平卓馬
自分の写真を丁寧に丁寧に説明してゆく中平卓馬
自転車を漕ぐ中平卓馬‥‥。


ゆらゆらと動き、切れ切れの声で話し、柔らかに笑いかける。
細くて小さいけれど、何かと闘いつづけている、その全存在で。


これはドキュメンタリーではない。
あるひとりの写真家を見つめた<ポートレイトムービー>である。


ストーリー【ネタバレの可能性あり】
伝説の写真家、中平卓馬


70年代初頭、先鋭的な言葉と写真で、既存の写真表現を否定し、撮影行為そのものを問い続け、時代を挑発し続けた伝説の写真家、中平卓馬
中平卓馬は、雑誌「現代の眼」編集者時代に写真家へと転向し、その後1968年に森山大道高梨豊多木浩二岡田隆彦らとともに、写真同人誌『プロヴォ −ク』(挑発する、の意)を立ち上げた。その中でアレ、ブレ、ボケを特徴とした、新しい写真表現を提唱し、同時代の表現者たちの中でも異質の輝きを放っていた。しかしその活動は、写真評論『まずたしからしさの世界をすてろ』の刊行を最後に4刊目で解散となる。その後、自らの表現をもすでに制度であるとし、いっさいを否定した中平は、それまでの作品のネガとプリントのほとんどを海辺で焼却する。

「われわれが生きるたったひとつの生は、<世界>と<私>との間にぴんとはりめぐらされた一本の線をけっしてゆるめることなく、そのテンションそのものを生きること」

世界は決定的にあるがままの世界であること、そしてその<世界>と<私>との関係を疑い、乗り越え、新たなる自己を確立し、そこではじめて生まれる言葉が、世界を語ることのできる唯一の方法だとした中平卓馬
写真評論『なぜ植物図鑑か』、篠山紀信との共薯『決闘写真論』を経た、1977年9月11日未明、多量のアルコールにより昏睡状態に陥る。

しばらくして意識を回復した中平は、その記憶のほとんどを喪失していた。

その後、療養を兼ねた家族との沖縄旅行を機に、ふたたび写真を撮りはじめた中平は、83年、写真集『新たなる凝視』を刊行する。そして昨年横浜美術館にて初の本格的な写真展「原点復帰−横浜」が開催された。その視線はまさに、もう一度<世界>との関係を探りはじめた、ひとりの写真家の闘いそのものであった。


スタッフ
監督・撮影:ホンマタカシ
製作:孫家邦、佐々木直也、塩坂芳樹、澤田陽子
プロデューサー:西村隆
スタッフ:潮田一、菊井貴繁、菊池信之、福井康人、黒田益朗、
     西武雄、鈴木隆光、中原晶哉、竹内裕二、橋本剛志、野川かさね
協力:森山大道、宮内勝、中川道夫、高良勉、宮原康正、
   中原みど里、『怒りをうたえ』上映委員会
製作:リトルモア
製作協力:オシリス


※「本ページの文章は、プレス向け資料をそのまま掲載しており、加筆はしておりません」

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4692