見える/見えない、アンフラマンス
《絶対演劇とアンフラマンス》
北山研二(フランス文学・デュシャン研究)
http://sites.google.com/site/moleculartheatre/critic/kitayama-inframince
◇ A-A' アンフラマンスの狭間で 永野潤
また、「コペンハーゲン 37年7月29日」という日付の入った次のメモにおいては、デュシャンが、アンフラマンスを「同一性」における「差異」としてとらえていたことがはっきりと書かれている。
35(表)
極薄な分離
同じ鋳型(?)で型打ちされた二つの形は、たがいに極薄(アンフラマンス)の分離値だけ異なる。
すべての”同一物”は、どれほど同一であっても(そして同一であればあるほど)、この極薄(アンフラマンス)の分離的差異に近づく。
二人の人間は同一性の例にならず、反対に極薄(アンフラマンス)の評価しうる差異から遠ざかる――しかし、発生上の分類(二本の木、二艘の舟)からもっとも同一な”型打ち”にまでいたる既視物の粗雑な概念がある。「瓜二つの双子」というような言語上の一般化を便宜的に受けいれてしまうより、二つの”同一物”を分ける極薄(アンフラマンス)の間隔を通りぬけようとするほうがいい。
コペンハーゲン 37年7月29日
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/ronbun/duchamp.html
◇ 2007-03-19 - 降っても晴れても
コンタクトイメージ後半で重要な概念である「inframance」について調べる。
「アンフラマンス」という概念は、下に挙げた二冊目の邦訳では「極薄」と訳されているが、デュシャン自身による明確な定義はなされていない。デュシャンはこの概念の具体例としてたばこの煙を挙げている。たばこの煙以外にもさまざまな具体例があり、他には紙の裏表の概念が挙げられている。それによれば一枚の紙の裏と表の「あいだ」こそがこの「アンフラマンス」の概念に関係するものとして考えることができるのである。また、『マルセル・デュシャン全著作』では、「アンフラマンス」とは二次元から三次元への移行に深く関わる概念として註がつけられている。これに関して、「アンフラマンス」は限りなく薄くはあるが、厚みのあるものとして捉えることができるだろう。もっともそれは均一な厚みとして捉えるのではなく、強度の変遷ということを念頭に置かなければ理解できないのではないかと思う。
こうした「アンフラマンス」の概念を経由して、ユベルマンは結論の一つとして、コンタクトイメージは「わずかな前後の揺らめき」であると述べる。上下でも左右でもない、前後のイメージ。これが意味するものはなにか。考えておきたい。
・1983年10月のユリイカ
岩佐鉄男氏訳によるデュシャンの「アンフラマンス」について、東野芳明氏と多木浩二氏の対談による『アンフラマンス解読』。前者はデュシャンのアンフラマンスについての具体例を訳したものであり、後者はアンフラマンスというものがどういう概念なのかを読み解こうとする内容。対談で重要なのが接触、非連続なものの接続のしかたというものが挙げられる。
・1998年8月の美術手帖
建畠皙氏による「アンフラマンス考」
また『マルセル・デュシャン全著作』およびBTはオプアート、キネティックアートについても少し言及がある。オプアートを考える場合、デュシャンのロトレリーフをはずすことはできないが、それとどう違うのかということははっきりさせなければならない。