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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

イラク終戦 巨大な犠牲に慄然とする - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース(2011年12月17日)

 オバマ米大統領終戦を宣言し、イラク戦争が幕を閉じた。だが、幾多の犠牲を払ってどんな成果を得たというのか。振り返ると、人命の巨大な喪失に慄然(りつぜん)とする。
 オバマ氏は「米国を強くし、世界を平和にする形で戦争に終止符を打つことができた」と述べたが、失われた人命を思えば何と空疎な言辞だろう。犠牲者を前に、戦争の責任者はもっと粛然としてあるべきだ。
 経緯を振り返る。ブッシュ前米大統領イラクフセイン政権が大量破壊兵器を持ち、国際テロ組織アルカイダを支援していると主張、2003年、戦端を開いた。
 だが兵器の現物はもちろん、保有の痕跡すら見つからなかった。アルカイダとの接点もなかった、というのは今や常識だ。だが米国は開戦の誤りを今に至るまで認めようとしない。
 オバマ氏は終戦演説で「3万人以上が負傷し、4500人近くが犠牲になった」と述べた。だが、それは米兵のみの数字だ。米国以外の犠牲は目に入らないと言わんばかりで、自己中心的にすぎる。
 ブルッキングス研究所の推計によると、イラクの民間人犠牲者は約11万5千人。米国の非政府組織(NGO)ジャスト・フォーリン・ポリシーの推計では133万9千人余(09年1月まで)に上る。いずれにせよ途方もない数の命が失われたのは間違いない。
 イラク国内では先天性四肢欠損症の新生児が急増したが、米軍が無差別爆撃で使った劣化ウラン弾との関連が疑われている。旧アブグレイブ刑務所で露呈したような恐るべき人権侵害も、数限りなくあっただろう。
 それなのに開戦理由の是非はうやむやのままで、誰も責任を取っていない。100年後の世界から見て、これほどの無責任が許されるだろうか。歴史の審判に耐えられるようにしたいなら、米国は経緯をきちんと検証すべきだ。
 戦争期間中の幾多の過ちも検証し、責任の所在を明らかにしてもらいたい。
 英国は独立調査委員会がブレア元首相を喚問し、検証を進めた。オランダも同様だ。日本は無批判に開戦を支持し、有志連合に加わりさえしたが、開戦の是非はおろか、何らの検証もしていない。
 巨大な犠牲を前に、日本もまた責任を負っていると自覚すべきだ。本格的に検証し、せめて後世に教訓を伝えてもらいたい。

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