島根県で戦後、人が住まなくなった「無住化集落」が少なくとも82集落に上ることが、島根大の作野広和准教授(人文地理学)の調査で分かった。うち7割の57集落は、過疎が行き着く先の「自然消滅」。作野准教授は中国山地の過疎の引き金として、高度経済成長と1963(昭和38)年の「38豪雪」を挙げている。
県が発行する地名鑑の47年版と2006年版を比べ、さらに現地調査などを加えた。県全域を対象とし、半世紀のスパンで集落の実態を追った調査は全国的にも珍しい。
無住化の原因を探ると、57集落が「自然消滅」だった。集落から人が消えた時期は完全にはつかめなかったものの、作野准教授は50年代半ばからの高度経済成長期が発端と位置付ける。時を同じくしての38豪雪。山間部から都市部に多くの人が流れ、家族で古里を離れる「挙家離村」という現象も起きた。