Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

アンドレ・マルローとヴァルター・ベンヤミン関連

◇ 共同討議「本はどこで生まれるか」第ニ回 - 大西廣研究室

 複製技術を問題とするのに、ヴァルター・ベンヤミンを避けては通れない。しかしそのベンヤミンを、思想的には彼の敵対者だともいえる、アンドレ・マルローと比べてみようといえば驚かれるであろうか。複製技術のなかに、この二人がどういう可能性を見いだしていたか。考えてみたいのはその点である。

 ときに誤って受け取られてきたように、ベンヤミンは複製技術を否定したのではない。際どくもそこに胚胎する新たな可能性を探ろうとしたのだ。その彼が注目したのは映画であった。伝統的な美術の世界とは無縁な、この新興の大衆文化の持つダイナミズムが彼を引きつけていた。

 マルローはどうか。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』を書いた一九三六年のちょうど一年まえだが、マルローはベンヤミンとは逆のある考えに達していた。伝統的な美術のむしろ積極的な理解のためにこそ、複製技術から新しい可能性が引き出せるのではないか。一九三五年の未発表原稿に最初の発想が認められる、彼のいわゆる「空想の美術館」論がそれだ。

 二〇世紀が振り返って見渡せる過去になったいま、興味深いのは、二人の眼差しがまさにこの世紀の最大の二つのメディアに向けられていたことではないだろうか。ベンヤミンのは映画芸術に、そしてマルローのは出版文化へと向けられていた。

 空想の美術館とは本のなかの美術館である。つまりまさに実物からだけでは得られない、「美術」という名の人類の共同幻想を、マルローは壁のない美術館、本の上の複製写真による美術館として可視化しようとしたのであった。彼のこの発想は、後に一九六〇年代において、その名も『フォルムの宇宙(L'Univers des Formes)』(日本版では『人類の美術』)と呼ぶ途方もない大美術全集になって結実する。それを見れば分かるが、根底には複製技術と出版文化の可能性に対する二つの着眼があった。

 一つは、後のスーザン・ソンタグの言葉を借りるなら、「写真のヒロイズム」とでもいうべきもの。――つまり、世界のどこへでも果敢に出かけていって、人類のイメージ文化のあらゆる遺産を参照可能なものにしてくれる力である。

 もう一つは、本のページのなかでの「ジャクスタポジション(juxtaposition、並置)」の仕掛け。――つまり、見開きの左右にページが分かれているという、書物ならではの物質的条件をフルに活用して、時空を越えた思いもかけない二つの作品を、比較を通して(ときには拡大写真によって)ドラマティックに映し出してみせようというところにポイントがあった。

「写真のヒロイズム」のもたらす自在さ、豊かさと、「ジャクスタポジション」による発見の驚き、これこそはまさに、オリジナルを閑却してまでも、私たちが「美術」という共同幻想のなかで享受しているものといえるのではないだろうか。ディレンマの核心がここにある。

 マルローのこの発想はどこから来たのか。その淵源が出版文化の歴史にあるというのが、ここで私が検討してみようと思っている一番の問題なのだが、しかしそれをいうまえに、ベンヤミンとマルローの微妙な接点に触れておく必要がある。映画と出版というジャンルの差はともかく、同じ時代にあって二人が共有していたもの、――あえていうなら、それは、一方が人間活動の断片記録でしかない映画フィルムの、そして他方は既成の美術作品の模造でしかない複製写真の、そのそれぞれを何物かに変容せしめる「編集機能」にあったといえるのではないだろうか。

 オリジナルの持つ力、そしてそれに対する社会的な信仰心のようなもの、それがつまりベンヤミンのいう「アウラ」である。複製技術における「アウラの喪失」ということばかりが、ロマンティックにあるいはペシミスティックに語られた、かつての誤ったベンヤミン理解についてはいまは問わない。「アウラ」をむしろ大胆に打ち壊し、加工する仕組みとしての、複製技術のもとでのみ発生しえた新たな力――ベンヤミン流にいうなら、どう転んでも後戻りはありえない、これまた二〇世紀こそが産み出したその「アクチュアルな」働きを、いまは単純化の謗りを恐れずに、あえて「編集機能」と呼んでおくことにする。


 歴史上、その「編集機能」の発想へと、マルローを突き動かしていたものとは何だったのだろうか。さきの「写真のヒロイズム」という言葉をもじっていうならば、マルローの時代へと迫り上がってくる、そのような、美術の歴史のなかでの大きな一つの衝動を、「カタログ化のヒロイズム」とでも呼んで捉えなおすことができるかもしれない。一九世紀以来、美術館別であれ、個人作家別であれ、ほとんど無数にといっていいほどに作成、刊行されたあのカタログである。

 いや、ことは、美術にかぎった話ではない。またヨーロッパにかぎらず、一九世紀だけの問題でもない。世界史上、ポスト中世のあらゆる局面を通して進行しつつあった、ある事態にそれは深く関わる。マルローへといたる決定的な流れとしては、むろん、一九世紀ヨーロッパの産業化社会の渦が最終的な結び目になることはいうまでもない。しかし、より普遍的な観点からいって、およそ出版文化の起こったところ、つねにかならず、「カタログ化」といまも呼んだこの種の衝動が、社会の根底にうごめいているのが見られるのは重要ではないだろうか。

 美術の歴史というよりも、「モノ」の歴史とでもいうべきだが、いったいに過去の遺産というか遺物を、何らかの絵画的イメージに表わして参照に供するといったことが、いくらかでも組織的になされるようになるのが、版画という初期的な複製メディアの出現以後であることは一般に認められているところであろう。

 その体系化がさらに加速度を増すのが、西洋では一六世紀後半、中国で一五世から一六世紀、日本では一七世紀後半あたりといってよかろうが、その背景にはいうまでもなく出版文化の興隆があった。じつにそれ以後の全過程を、「カタログ化」の時代とでも名づけて、新たな考察の対象ともなすべきだと思うのだが、管見のかぎりではまだそのような研究がなされた形跡はない。

http://www.musashi.jp/~onishi/honko2.html


◇ フォーカス 04年5月 ネット上の美術館 四方幸子 - 美術館・アート情報 artscape

 しかし、空間を超えた情報による美術や美術館は、じつはインターネット以前にも存在していた。複製技術によってである。たとえば写真は一種のテレプレゼンス・メディアであり、本人が実際に行かなくてもその場所を見ることができるだけでなく、世界のあらゆる空間を二次元的なイメージの断片としてだれもが任意に選び、「所有」することを可能にする。個人的なデータベースとして任意に組み合わされることで、つねに新たな意味の生成へと開かれている。アンドレ・マルローが1947年に提唱した「空想美術館」という概念は、美術作品だけでなく、世界のあらゆる事物を写真としてキャプチャーし等価に並べることにより、それまでの美術館というシステム、空間的な枠組みを破壊しその境界を問うものといえる。
 ではネット上における美術や美術館のあり方とは何なのだろうか? ネット上においては、情報は特定のモノとしての支持体に搭載されることなく流通する。それらデータは、すでにコピーとして各自の端末に届けられる。そのような「流出」(F.キットラー)的な特性に加えて重要なのが、リンク機能である。そこではネットワーク上にあるデータが潜在的なリソースと見なされ、リンクされることによって、膨大なデータへのリファレンスが可能となるだけでなく、だれもがリンクを行なうことによって、個人的な「美術館」「美術展」が可能になる。「空想美術館」は、いまやモノとしての映像の所有にとどまらず、さまざまな情報へのリンクという連結可能性へと拡張されたものといえるだろう。

http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0405_02.html


◇ データベースとしての美術館――ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」の射程 暮沢剛巳
http://10plus1.jp/hen_muse/text_5.html