Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

トロリーバス - Wikipedia

1882年4月29日に、ドイツのヴェルナー・フォン・ジーメンスがベルリンで540mの区間で"Elektromote"の試験運行を行ったのが初めとされる。開放式馬車をそのまま用いた形態となっていた。この実験は同年6月13日まで続けられた。この実験の後、ヨーロッパ各地で実験が行われ、アメリカにも伝わった。1900年代初めにはフランスなど各国で実用化された。このときは路面電車に準じた車体スタイルであった[1]。
日本においては、1928年に阪神急行電鉄(現、阪急電鉄)花屋敷駅(現在は雲雀丘駅と統合されて雲雀丘花屋敷駅)と新花屋敷(現在の川西市満願寺町あたり)の間1.3kmを結ぶ区間で運行を開始した日本無軌道電車が初とされる。当時この付近では温泉が湧いており、それを開発した温泉宿・遊園地へのアクセス路線として、当時のバスでは登坂不可能な急勾配を越えるためのものだった。しかし営業は思わしくなく、開業わずか4年で廃線となった。
都市交通機関として初めて開業したのは、1932年の京都市電気局(後、京都市交通局)である。その後しばらくこの路線が日本唯一のトロリーバス路線となったが、戦後になっていくつかの大都市にトロリーバス路線が開業した。その背景には、当時の内燃機関バスは大型化には対応していたが、依然として出力性能が低く、頻繁な整備が必要なうえ、騒音や振動にも改善の必用がある状況であったことから、電車の技術を応用して車体の大型化に対応できるトロリーバスに期待が集まったことと、路面電車に比べて建設費が1/3ですむことなどがあったとされる。
しかし架線下においてしか走れないため、道路交通量の増加とともに走行に困難をきたすようになり、また性能の良いエンジンを持った大型のバスの開発が進んだこと、さらに、トロリーバスを導入していた都市の多くが路面電車を経営していたが、路面電車の廃止によって、トロリーバスのためだけに変電所などの設備を維持する経費などの問題もあって、順次廃止されていった。都市トロリーバスで最後に廃止されたのは、横浜市交通局のもので1972年のことである。なお横浜市のそれは開業も1959年で、これもまた都市交通においては日本最後のものであった。なお、横浜のものは最後まで黒字運営であったが、他都市の路線や、横浜市電が全廃され、車両部品の調達や施設関係の維持及び費用に困難を来たすことが予測されたため、廃止となった。
現在、日本国内では都市交通としてのトロリーバスは存在せず、山岳地帯の立山黒部アルペンルートにおける立山黒部貫光立山トンネルトロリーバス(室堂駅 - 大観峰駅)と関西電力関電トンネルトロリーバス黒部ダム駅 - 扇沢駅)の2路線(いずれも鉄道事業法適用の鉄道)が残るだけである。前者については元々普通のディーゼルバスが運行されていたが、全区間がトンネルであるため換気が大変なことと、周辺が国立公園内であることによる自然環境への配慮から、排ガスを出さないトロリーバスに置き換えられたものであり、後者は長大トンネルにおける排気ガスの問題から採用されたものである。

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