Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

Andy Warhol - Velvet Underground (Documentary) - YouTube

A small part about The Velvet Underground from "Andy Warhol - A Documentary Film [PBS American Masters]".

http://youtu.be/eFd9h5IG5XQ
バルーン作品(Silver Clouds [Silver Flotations] http://youtu.be/65obeVlgD9E)のうちの一つを空に放つ映像あり。

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◇ plastic bag into the sky, test shooting at boston - YouTube

2004, koki tanaka,
another version of this work for youtube

http://youtu.be/xUzBMDWxFp8


◇ 10+1/美術館研究――5[田中功起青木淳

田中──ぼくは作品がばかばか売れるわけでもなく、キャリアとしても駆け出しなので、展覧会に作品を出品しながらも、同時にアルバイトで生活費を稼ぐという状態が続いていました。また展覧会ごとに新しいアイディアを出してつくっていくので、ニューヨークに行くまでは制作から発表までのペースがとてもタイトで、もうへとへとでこれではやっていけないと感じていました。ニューヨークでの半年間はいわばモラトリアム状態で、これをしなければならないという条件がまずなかった。最初に決めたのは、ひとまず「作品をつくる」ということを忘れよう、まったく新たな土地で自分はなにをするのかということを見極めようということ。つまり、もうアートはいいやと思えば止めてしまってもいいし、あるいはあらためて批評家をめざすとか、映画を撮るとか、とにかく自分のことをオープンな状態にしておこうと、そうした状態に自分をおいたときにいったいなにからはじめるのだろうかと、そうしてしばらくだらだらと過ごしていました。もちろんなにもしないということは非常につまらないことです。そこではじめたのは夜の街のなかで風に揺れるものをとりあえず撮影してみるということでした。雪が残るニューヨークの街なかを歩きながらゴミ袋とかなぜかたれているひもとか、そういうものをすこしずつ撮影していきました。それまでは、はじめに作品のイメージやアイディアがあってそれをもとに制作するという流れで作品ができていたことが多かったのですが、ニューヨークでは、逆に、最終的な仕上がりを意識せずとにかく撮影するなら撮影して、例えばメジャーを引き出して自動的に戻るところを撮ったり、いろいろと試すことからはじめてみました。そのように方法を逆転させることでそれまで自分が押さえ込んでいた映像の問題、カットのつなぎのことであるとかカメラを動かすことであるとか色彩や構図やそういうもろもろのこと、あるいはいままでだったら作品のテーマとして選ばなかったことや選べなかったこと、それらをごく自然に作品のなかに取りこむことができました。言ってみれば街をぶらぶらしながら気になったものやことをメモするように撮影していったのです。
青木──たしかに、ニューヨークでの作品には、その町の自然な感じが出ていますね。歩道にキャビアをおいて鳩が食べるまでの映像《鳩にキャビア》や、寝室を撮っていてしばらくするとトイレットぺーパーが落ちてくる映像《ワン・ベッド・ルーム》とか。滝の落下する水でサラダボールを回転させ野菜を混ぜる作品《滝を使ってサラダを作る》はともかく、特に、ビニールの買い物袋が風船みたいに飛んでいく作品《Plastic bags into the sky》は、ニューヨークを感じさせます。
田中──例えば《Plastic bags into the sky》では最後にヘリウムが抜けてその買い物袋が落ちてくるのですが、その公園にたまたま居合わせた街の人が、──ゴミと間違えたのかどうかわかりませんが──それをジャンプしてキャッチするシーンを使ってます。鳩がキャビアを食べるのかどうかもそうですが、本当になすがままですね。映像にはなにか偶然の成りゆきみたいなものが映り込む可能性がある。そして、そこで起きていることを起きているままに見せたいということもあります。映像はすごく即物的だから見ている人はそこで起きていることを起きていることとして受けとりやすいですよね。考える間もなく映像は先に行ってしまうから。ぼくは、いままでの作品ではひとつのシーンを操作して映像が延々とループするというものをつくっていたのですが、逆にいまは、なすがまま、あるがままといったものに可能性を感じています。
青木──そう、形式として、ループではなくなった。

http://10plus1.jp/dialogue/dialogue005/dialogue5_1.html

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ICC ONLINE | アーカイヴ | 2003年 | E.A.T.──芸術と技術の実験 | コラボレーション作品 | 《銀の雲》

 本作品が発表された1966年は,ウォーホルらのサイケデリックなパフォーマンスがニューヨーカーをダウンタウンに引き寄せていた時期であったが,彼は,今度は反対側のアップタウン(レオ・キャステリ画廊)の個展で発表したのだった.入って正面の部屋には,数ダースのヘリウムを詰められた銀色のバルーンで占められ,もう一つの部屋は,ピンクの牝牛の頭部が反復する壁紙のみ.バルーンは,90センチから120センチ位の高さで舞いながら,その光る表面に周囲の空間を歪めながら映していた.一群は気流や室温変化や静電気に影響されて終わりなく動き回る.限定されない動きや重力への抵抗は,60年代のキネティック・アートやカルダ−のモビールと関係し,ぷっくりとした形や柔軟さはオルデンバーグの「ソフト・スカルプチャー」とも近い.観客は浮遊している様を見るために軽く触れるよう誘われるが,この雲の誘惑は「観客参加」のアフォーダンスとなる.ふわふわ浮き,ランダムに動く雲に魅力を感じたマース・カニングハムは,《レインフォレスト》(1968年)で,浮き上がる舞台装飾として使用した.予想以上の気ままな雲の動き.舞台の外へ去って行ってしまわないように,結局,雲はひもでつながれてしまった[*]. [上神田敬]