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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ニコニコ動画のお粗末:山形浩生(評論家兼業サラリーマン)(Voice) - goo ニュース

 わが国では動画投稿サイト、ニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女の替え歌を歌唱ソフト『初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトのメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトのイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。

 当然ながら彼らはそのコンテンツについて何の権利ももっていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!

 ニワンゴの経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた――投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。

 ネットは著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回取り上げたケースが如実に示しているように。

 いま多くの日本のコンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消して、ほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログの罵倒合戦くらいならそれでもいい。

 だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるをえなくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業の倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制がありうるだろうか?

 じつは今年、そのヒントになりそうな出来事がもう1つあった。脳科学者の肩書で各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水なかたちで大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディアの執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。

 こうしたネット上の自主的な倫理や規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護の規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。

http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090919-02.html


◎ YAMAGATA Hiroo: The Official J-Page
http://cruel.org/jindex.html
http://cruel.org/(Entrance Page)


※過去の山形浩生さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%bb%b3%b7%c1%b9%c0%c0%b8


>>>Lawrence Lessig: Remix Making art and commerce thrive in the hybrid economy - Bloomsbury Academic
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090513#p3


※過去のローレンス・レッシグ関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%a5%ec%a5%c3%a5%b7%a5%b0

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>>>ドクター茂木健一郎駒場講義

◇ Irresponsible Rumors 2009

もはや研究者とも言い難い、テレビメディアの学者枠で活動するタレントの茂木健一郎が、Wikipediaに光臨して自分の記述に文句をつけている。が、ぼくから見ればあの記述はまっとう至極。「『タレント』を職業とすると宣言したことはない」って、人は言うことではなくて、やっていることで評価されるの! いい年してそんなことも知らないのかな。他人の批判を載せる意味があるか、とか書いてるけど茂木健一郎に関する関心の大半は、「あの人って研究者とかいうけど研究してんのぉ?」というものだし、「その研究って何なのぉ?」というものなので、それについての批判をちゃんと書いておくことは公共の福祉に資するよいことだと思う。茂木はいまでも自分が科学者で研究者だと思いたいんだねー。でもかれの処女作が出たときに書評を書いたけど、その後10年以上たって、かれはぼくの批判から一歩も進んでいない。「相互作用同時性の原理」とか、少し芽があるかなと思えたものも、いまから考えればベンジャミン・リベットがきちんと実証したものをなにやらぼんやり印象として持っていただけ。ちなみに、上の書評を書いたときにも茂木健一郎はメールをくれて、記述が不当だと愚痴ったんだけれど、結局何が不当だと思っているのかは説明してもらえなかった。今回のWikipediaでの文句の付け方とまったく同じで、ずいぶん懐かしいものを見た。書いている人たちはそれに真面目に対応して、えらいもんだ。そして確かに「タレント」ということばを削除したところで、やっていることを淡々と記述すればだれが見てもタレントとしか思えないという点で、記述の手法としても参考になる。Let the facts speak!
 でも、あれが不当な記述だというなら、茂木的に正しい記述とはどういうものか、かれは自分の無内容な書き散らしをどう思っているのか、そして自分が世間的にどう受け止められていると思っているのか、興味あるところではある。かれは本当に、自分が優れた研究家として評価されてあちこちにお座敷がかかっているつもりんなんだろうか?

http://cruel.org/other/rumors2009_1.html#item2009050901


◇ 連載第?回 Do Your Homework!――思いつきの仮説だけでは、脳も心もわからない。 (『CUT』 1997年6月発売号) 山形浩生

 著者はそれをまるで説明しない。著者がそう思ってるだけ。じゃあ仮説なら、これを仮定すると何かすっきりした見通しがたつのか? そういうわけでもないんだな。で、続いて認識のニューロン原理ってのが出てきて、あらゆる認識はニューロン発火状態のパターンだけで説明できなくてはならないという。これは「その後にはペンペン草一つ生えない」くらいすごい破壊力を持つ原理だそうな。でも、これは証明もされてないし「革新的なポテンシャルがまだほとんど実現されていない」。実現されてないどころか、それで何が説明できるのかも全然まとまらず、著者がすごいすごいと繰り返すだけ。

 次の「認識のマッハ原理」も、「きわめて正しいし深遠」なんだそうだが、いまのところ何の証拠もなく、著者のお気に召さない(しかしそれなりに有効な)反応選択性説が排除できるという以外のメリットは提示されないまま。

 万事この調子。何か実証されたわけでなく、理論的なフレームが明確になるわけでもない。前のほうで仮説だったものが、後半ではいつのまにか確立した原理扱いされるし。

 いくつかの主張は、まあ同意できる。むかしこの欄でも書いたけれど、意味論をちゃんと考えないとダメなんだ、というのはその通り。でも本書は「考えてないから従来の理論はダメ」と繰り返すばかりで、かわりに勝手な前提と憶測に大仰なレトリックをつけて、しかも結論はすべて「まだこれから」。

 唯一「相互作用同時性の原理」ってやつはいけるかも。意識における時間のありかたを、神経の情報伝達速度から考えよう、という議論はすごく興味がある。ある幅を持った「現在」が重なりつつ動く、という議論もいい。でもそれもまだ思いつきだな。

 全編を覆う自己陶酔したレトリックもなんとかならないものか。終章なんかすごいよ。大英博物館ギリシャケンタウルス像を見て「生涯で最大の衝撃と出会った」そうな。「(この)彫像を見るたびに、何か言いようのない深い感動を覚える(中略)ある深遠な真理への予感をこれらの彫像に感じるのだ」

 はあはあ。で、どんな真理? それが本書とどう関わっているの?

 曰く。「彫像が私の胸に語りかけてくるものは、いったい何なのだろうか? 残念ながら、私はそれをまだ言葉にすることができない」

 あのなあ……「いったい何なのだろうか」って、てめーが勝手に感じといて、そんなこときかれたって知るかあっ! ものを書く人間が「言葉にできない」とか嬉しそうに言ってんじゃねえ! なんで脳と心の本で、こんな駄作文を読まされなきゃなんないんだ! 「ケンタウルスの彫像は、想像もできないような新しい知の世界へと、私を誘っているように思われて仕方がないのである」って、思ってればぁ? 根拠なく勝手な思いつきを得意げに並べるのは健在。で、「心と脳の関係を求める知的探求の旅、これほど、人間にとって意味深い、そして高貴な営みがあるだろうか?」あるんじゃねーの? 飯喰うとか子供生んで育てるとかさ。たかが脳科学がそんなえらいと思いなさんな。御説では、しょせんすべてはニューロンの発火でしょ?

http://cruel.org/cut/cut199706.html
12年前。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090618#p5