◇ 思いつきメモ 東京周辺における現代美術の場の勃興・拡散と社会的再 - unlimited unswitched
そもそも「現代アート」という言葉が生まれた背景、「現代美術」との違いを見せる必要が生じたのはいつからか。まず、現代美術という言葉だが、これは非常に広い概念である。クリエイティブな活動のうち、オルタナティブなコンセプトを持っているものをすべて指す人もいる。例えば、「公共広告など、経済的利益を追求しない表現プロジェクトも一種の現代美術である」、というときの現代美術である。一方で、国際的なアートシーンに接続している作品をそう呼ぶことがある。「現代美術館で展示された、収蔵された」または「海外で紹介された、マーケットに出品された」という実績によって裏付けられるが、最近は「現代アートを扱う画廊で紹介された」というものもその意味での現代美術。さらに、団体展系の平面絵画シーンにおける「コンテンポラリー」「現代美術」という言葉がある。これは、国際的なアートワールドに接続しているという意味ではなく、モチーフや描画技法がコンベンショナルな絵画の枠からはみ出ることを意識して描かれたもののことを指す。例えば、「賞を狙うにはうまい絵ではなく現代美術を描かないといけない」などという用法で使われる。
東京と京都
京都芸大(京都市立芸術大学)の作家は、マーケットでの価値の少ない、しかし国際的な美術史への言及と、戦後に発展した日本のテクノロジーを新たな日本の価値として、それを組み合わせたコンセプトの作品を多く造ってきた。その代表が、佐賀町エギジビットスペースで展示した森村泰昌とヤノベケンジである。そして、彼らを関東において積極的に紹介してきたのが、水戸芸術館の森司学芸員(当時。現在は東京都・東京と歴史文化財団の東京文化発信プロジェクト室長)であり、国際交流基金(?)であった。(南嶌さんはどうしていた?世田谷美術館は?)東京都現代美術館の存在
東京芸大出身者の果たした役割
ボイス来日の再評価→芸大先端の研究会でいまやってる
関西出身者の果たした役割
森村泰昌、藤浩、ヤノベ、名和
京都芸術センターなど
キュレーターの果たした役割
マーケット主導期において脚光をあびる
漫画「ギャラリーフェイク」の影響
http://d.hatena.ne.jp/tsakuta/20090902
◇ 思いつきメモ 文化とショッピング - unlimited unswitched
芸術と文化
いまや、文化=消費者によるショッピング(サービスの購入も含む)+αである。ギャンブルやスポーツなど、不確実性を含んだサービスもすべてショッピングである。文化の大半は消費のバリエーションである。消費しつくせないもの、つまり「+α」の部分には、政治=コミュニティぐらいしか入らないのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/tsakuta/20090622/1254442754
※過去の作田知樹さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%ba%ee%c5%c4%c3%ce%bc%f9