Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

Ernst Von Alphen, Michael Archer, Dorothee Bienert, Adam Budak, Sebastian Cichocki『Polish!: Contemporary Art from Poland』(Hatje Cantz Pub) CommentsAdd Star

http://www.amazon.co.jp/Polish-Contemporary-Ernst-Von-Alphen/dp/3775728457


◇ David Crowley, Zofia Machnicka, Andrzej Szczerski『The Power of Fantasy: Modern and Contemporary Art from Poland』(Prestel Pub)
http://www.amazon.co.jp/The-Power-Fantasy-Modern-Contemporary/dp/3791351451


◇ Polish! Contemporary Art from Poland at Kunstlerhaus Bethanien Berlin - YouTube

http://www.vernissage.tv | Polish! Contemporary Art from Poland at Kunstlerhaus Bethanien Berlin presents works by the artists Michal Budny, Rafal Bujnowski, Hubert Czerepok, Slawomir Elsner, Michal Jankowski, Katarzyna Kozyra, Pawel Ksiazek, Dominik Lejman, Roman Lipski, Piotr Uklanski, Urban Art (Marek Pisarsky + Anne Peschken), and Artur Zmijewski.

http://youtu.be/XfVAomUjceE


◇ 「ポーランド現代美術における《ヨーロッパ回帰》」(?) 国立国際美術館学芸課主任研究官 加須屋明子 - フォーラム・ポーランド Forum Polska

ここで少し、21世紀の現在に至る前の段階、80年代から90年代にかけての状況の変化について見ておきたいと思います。お手元にお配りした資料には、ヨーロッパで開催された、主要なポーランド現代美術関連展、及び東・中央ヨーロッパ現代美術展の一部を載せております。例えば、1988年にオックスフォード近代美術館で開催されましたポーランド現代美術展では、マグダレナ・アバカノーヴィチ Magdalena Abakanowicz (1930- )、イエジ・ベレシJerzy Bereś (1930- )、エドヴァルト・ドゥヴルニク Edward Dwurnik (1943- )、イザベラ・グストフスカ Izabella Gustowska (1948- )、イエジ・ノヴォシェルスキ Jerzy Nowosielski (1923- )、レオン・タラセーヴィチ Leon Tarasewicz (1957- ) といった作家たちが紹介されていました。ちなみに、このとき美術館館長であったデイヴィッド・エリオット氏はこの後ストックホルム近代美術館館長時代には「アフター・ザ・ウォール」という壁崩壊後の中東欧地域の現代美術を紹介する大規模な展覧会を実現され(キュレーションはボヤナ・ペイジ)、また現在は六本木にあります森美術館の館長として活発な活動を行っておられます。同じく1988にウーチ美術館とグラスゴーのサードアイセンターとの共同企画で開催された「ポーランドのリアリティ:ポーランドの新しい美術」展では、上記の作家のほかに、バウカやマレック・フランダ、トマシュ・チェチェルスキやアンジェイ・シェフチクらが紹介されています。こうした作家たちは、80年代までのポーランド作家として国外で紹介されることの多少多かった人々であり、この他に早い段階で国外に制作の場を移したロマン・オパウカRoman Opałka (1931- )やクシシュトフ・ヴォディチュコ Krzysztof Wodiczko (1943- )らは国際的に既に名声を確立していました。タデウシュ・カントルTadeusz Kantor (1915-1990)と彼の劇団クリコ2も、演劇の分野においては早くから注目を集め、世界各地で公演活動が行われています。
冒頭で少し触れましたように、1989年に政権交代が行われ、各種の情報も一気に流通しはじめましたことから、それまであまり知られていなかった中東欧圏の戦後現代美術を再検討しようという動きがしきりに欧米で起こりました。また、作家達も西側の美術界に受け入れられようと、多種多様なトピックに飛びついたような感もあり、様々な表現が乱立しました。この頃開催された主な大きな企画展として、1994年のボンの「ヨーロッパ、ヨーロッパ」展、これはカタログも非常に充実しておりまして、今なお貴重なソースブックとして参照されることが多いと思います。ただし、この時の基本姿勢として「西欧中心で記述された美術史に欠落していた東欧美術の穴を埋めていこう」という態度が感じられた点で、西欧の枠組みや文脈に無理矢理別のものを押し込めようとする作為、その暴力的権威的な姿勢には問題が多かったのではないかと感じます。また、これとは別に1998年には、いわば当事者側からの発信と呼べばいいのでしょうか、スロヴェニアのリュブリアーナ近代ギャラリーで「身体と東 1960年から現代まで」という展覧会が企画されました。東欧現代美術を身体性をキーワードにまとめたグループ展で、非常に示唆に富む企画でした。残念ながら私はこれらの展覧会をカタログでしか知ることができず、直接展示を見逃してしまっております。1999年に開催されました「アフター・ザ・ウォール」展と「アスペクト/ポジション 中央ヨーロッパの50年 1949-19999」展は、それぞれベルリンとバルセロナ会場にて見ることができました。非常に広範にわたる豊かな展示ではありましたが、反面、あまりにも多くの作品が一同に集められており、それぞれの作家の特質を際だたせるというよりも、逆にお互いに干渉しあって、効果が半減してしまっているような箇所も目立ちました。作家たちにとっては、このような、いわばサンプル的な(十把一絡げの)扱いを受けるのは不本意なことだったのではないかと思います。ベルリンでのオープニングでも、企画者の1人デイビット・エリオット氏が「このような展覧会は、一度は開催する必要があるが、二度と繰り返さなくても良い」というような発言をされておられました。つまり、混乱の後を整理する作業は必要ではあるものの、繰り返しそうした整理作業を行って作品を固定することで、いわば作品の息の根を止めてしまうことになりかねない、という危うさについて触れられたのではないかと思いました。こうした経験を踏まえ、日本で企画開催する中東欧現代美術展は、「アフター・ザ・ウォール」の成果を元に、それ以後の展開について焦点を当てよう、国ごとの違いを際だたせるような展示や、中央ヨーロッパ全体の特質を探るような方向に向かうのではなくて、作品本位の選定で、作家それぞれの表現を最もよく生かすような展示を行おうという風な合意が開催館である広島市現代美術館東京都現代美術館国立国際美術館それぞれの担当者間でできあがって参りました。この他、2000年にパリのジュ・ド・ポーム国立ギャラリーで開催された「ヨーロッパの反対側」という展覧会(このタイトルは何ともひどいのではないでしょうか−全く自分たちとは異なる他者としてしか見ていない、ということを明らかにするような、あからさまな差別意識の反映されたタイトルではないかと思います)、同じく2000年にドレスデンとフランクフルトで開催された「ボヘミアの鳥たち」などのグループ展が相次ぎました。
日本では、どのような紹介がなされていたかと申しますと、なかなか実はまとまって中東欧地域の現代美術が展示される機会はありませんでした。1970年の東京ビエンナーレには、ポーランドからエドヴァルト・クラシンスキEdward Krasiński (1925- 2004) が招かれましたが残念ながら出国叶わず、FAXによる指示を出しての展示参加になったそうです。また、1981年という比較的早い段階で「現代の絵画−東欧と日本−」というグループ展が国立国際美術館で企画開催されております。それぞれの国の美術批評家、学芸員などに協力を依頼して、数名ずつ選定してもらって実現した展覧会であったと聞いております。当時はまだ電話やFAXもつながりにくい時代でしたので、諸連絡や調整は非常に困難であったそうです。1991年にはアバカノヴィッチの個展が東京、滋賀、広島などを巡回し、1995年にはカントルの個展がセゾン美術館と伊丹市立美術館で開催されました。また1996年には東京の資生堂ギャラリーザ・ギンザアートスペースで中央ヨーロッパ現代美術のグループ展が企画開催され、ポーランドからはピョートル・ヤロスPiotr Jaros (1965- ) が加わっております。1998年に私が国立国際美術館にて企画開催いたしました「芸術と環境−エコロジーの視点から−」展では、先ほどもご紹介しましたバウカと、アウシュビッツ(オシベンチウム)強制収容所から生還し、演劇の監督もなさっておられるユゼフ・シャイナJózef Szajna (1920- )を出品いたしました。1999年にはヴォディチコがヒロシマ賞受賞記念の個展を開催し、原爆ドームに向けてのパブリック・プロジェクションを行っております。ただ、ヴォディチコは現在アメリカで活動しておられますので、出身がワルシャワである、という風な文脈で語られることは稀であり、ご本人も必ずしもそれを表立っては言及されないようにも感じます。これは、パリを拠点とするロマン・オパウカの場合も同じで、フランスの作家と見なされる場合が多いようです。これに対して、彼らの次の世代であるバウカは国際展にも多数参加し、非常に著名ではありますが、制作拠点はワルシャワ近郊のオトヴォツクの生家をアトリエとして使用しておられ、自らの生まれ育った環境、歴史、文化、といったものに根ざす作品の制作が続けられています。2000年には国際美術館で<食間に>というタイトルで彼の近作展を開催し、子どもと一般向けのワークショップも行いました。使用済みの石けんを募集したり、新聞の訃報欄を切り抜いて輪飾りを作成したりと、日常生活と密接に関わるような作品でありながら、かつ、例えば強制収容所の浴室の床が展示場に再現されていたりと、歴史的なパースペクティブも組み込んだ刺激的なインスタレーションでした。

http://www.forumpoland.org/kasuya2005.htm


◇ 井口壽乃・加須屋明子『中欧のモダンアート──ポーランドチェコ・スロヴァキア・ハンガリー』(彩流社
http://www.amazon.co.jp/dp/4779119162


◇ Soccer Forever: Polish Contemporary Art and the National Game on Vimeo