ガートルード・スタイン(英: Gertrude Stein、1874年2月3日-1946年7月27日)は、アメリカ合衆国の著作家、詩人、美術収集家。美術収集家として知られるスタイン兄妹の一人で、パリに画家や詩人たちが集うサロンを開いていたことでも知られる。そこに集まる芸術家たちと交流する中で、現代芸術と現代文学の発展のきっかけを作ったともいわれている。
1920年代
1920年代、フルリュース通り27番のスタインのサロンは、その壁が前衛美術で覆われ、当時の偉大な作家達を惹き付けた。その中には、アーネスト・ヘミングウェイ、エズラ・パウンド、ソーントン・ワイルダーおよびシャーウッド・アンダーソンがいた。スタインはこれら海外在留のアメリカ人作家の何人かの前で「失われた世代」という言葉を最初に使ったとされているが、少なくともこの言葉に関しては3つの逸話がある。2つはヘミングウェイであり、もう一つはスタイン本人によるものである[74]。1920年代にスタインは作家のマイナ・ロイと友達になり、その友情は終生続いた。スタインは魅力があり、雄弁で快活だったので、大きな友達の輪ができ、それがスタインを疲れを知らない者にした。その文学や美術に関する判断は高度に影響を与えるものだった。スタインはヘミングウェイの相談相手となり、ヘミングウェイの息子が生まれた時は名付け親になってくれるよう依頼された。1931年の夏、スタインは若い作曲家で作家のポール・ボウルズにタンジールにいくように助言した。そこはスタインとアリスが余暇を過ごす所だった。