Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

飯沢耕太郎『写真美術館へようこそ』(1996年)よりエドガー・ドガについての記述+α

 ドガが写真にひかれたのは、単に正確な下図を得るためだけではありませんでした。彼の有名な「踊り子」や「競馬場」のシリーズを見れば、そのことがよくわかります。彼は“動き”をいかに描写するかということにとり憑かれていました。脚を上げたり、体をねじったりしてポーズをとる踊り子たちの動きの瞬間をとらえる彼の眼は、まるで高速度撮影のカメラのようです。また画面の端で断ち切られた馬や競馬場の観客の描写は、二十世紀になってから登場する小型カメラによるスナップショットを先取りしているかのようです。ドガは写真の視覚を積極的に自分の絵の中に取り入れようとしていました。

http://www.amazon.co.jp/dp/406149287X
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%BC%CC%BF%BF%C8%FE%BD%D1%B4%DB%A4%D8%A4%E8%A4%A6%A4%B3%A4%BD


エドガー・ドガ とは|ドガ

1895年 (61歳) この頃、写真を撮影する。

http://www.degas2010.com/about/
1895年は、ドガマラルメルノワールの肖像写真を撮った年。
「この頃、写真を撮影する。」とは、とてもぼんやりした記述です。
何年ごろから写真を撮り始めたのか要確認。


◇ taniguchimiyabi » Blog Archive » ドガと写真 - 谷口雅 写真とことばと日々

ドガと写真について繰り返し語られ続けてきたことが20年以上前に根拠無しという結論となっていたことを知った。

70年代にドガと写真ということが話題になって、その頃に語られたことで時間が止まっていた。まことしやかに語られその面白さに納得し、疑うことなど全くなかった。手品のような見事さで、事実関係の検証などどこかにすっ飛んでいたのだろう。我々の後の写真関係者ではその定説が否定されていたことが常識になっていたのかもしれない。

http://myb-jp.com/?p=2762
谷口雅さんのブログより。
ドガ展@横浜美術館のカタログは、要チェック。


ドガ ― 作られたまなざし(一橋大学教授 喜多崎親) - 一橋フォーラム21 58期 - 一橋フォーラム21

 ところが1980年代ぐらいから、「それは本当にそうなのか」という検証が行われるようになりました。先ず「ドガがそういう構図を作り出している頃、スナップ・ショット的な写真があったのか」ということが疑問視されます。先程も言いましたように、当時はシャッター・スピードが長く掛かるのです。ということは、モネのようなボケる画面を作ることになり、逆にいうと、通過していく物があるとすればぼんやりとボケた形でしか撮られないわけです。したがって、スナップ・ショットを作ろうとしても、画面の端にきちっと人物が通過する姿が切り取られるということはなくて、それはボヤボヤの影になってしまうのではないか。そして、実際にドガがそういった構図を作り始める1870年代の写真では、そうしたスナップ・ショット的なものを作ることは未だできなかったんです。

 もっと面白いのは、写真が持っているそういった特性、写真独自と考えられるスナップ・ショット的な構図は、実は絵画が伝統的に持っている遠近法の問題と同じなのではないかということです。これは難しい問題になりますが、ルネサンスに成立した線的遠近法と言われるものも、額なら額の中に、だんだん物が遠くにいくにしたがって小さくなっていく、そして最終的には奥に向かっていく線が全部集中して1点に集まり、仮想の空間を作り、それで遠近感を出す方法なのです。

 これはまさしく額の中に3次元の空間を作ることで、額なら額を一つの窓と見て、そこから一定の距離に立って見ているという視点で捉えるものなので、写真のフレームとまったく同じような原理で絵を描いていたのです。したがって、絵の方が先にあって、それと同じ方法に則って後から写真が出てきたのであり、ドガがやったことは絵画の問題として出てきたとも考えられる。こうしてシャッター・スピードのことだけを考えても、ドガがスナップ・ショット的に偶然捉えるのを写真から学んだのではないのではないかと言われるようになりました。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/kita3/main.html
「作られる瞬間性」の各項、「ドガの構図」「写真や浮世絵の影響」
「ダゲールの写真と絵画への写真の影響」「ドガとスナップ・ショット」
ドガに対する写真の影響への反論」「ジャポニスム
「浮世絵版画の影響力」「ドガの知的な作業」を要再読。


美術学部芸術学科 MURAYAMA, Yasuo top>美術学部>>芸術学科>>>村山 康男作品

1.「19世紀フランスにおける写真と絵画」(1996)は19世紀フランスに誕生した写真術が、同時代の絵画とどの様な関わりを持っていたのかを、19世紀フランスに限定して論じたもの。通説では例えばスナップショットの即興的な構図が印象派に影響を与えたなどとされている。当時の写真の実証的研究によれば、しかしドガの絵画ほどにラディカルな写真は存在せず、大部分の写真は旧来の絵画的構図や描写を模倣したものに過ぎないことが分かる。当時の写真家が信奉していた美学は古典的な絵画理論「犠牲の理論」であり、今日でいう「写真的視覚」(突飛な構図、明暗の極端な対比、中景の脱落)を禁じていた。そうした保守的な写真家を後目に、ドガやボナールのような前衛画家たちは写真映像の真に革新的な特性を正確に捉え、自分たちの造型表現に採り入れていたというのが論旨である。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:_14MP1aIW6IJ:db.tamabi.ac.jp/FMPro%3F-DB%3Dfacultyworks.fp5%26-Format%3Dfacultyonweb/maina.html%26copyright%3Don%26no%3D128%26-
キャッシュより。


>>>Place de la Concorde - Edgar Degas, 1875

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Edgar_Degas_Place_de_la_Concorde.jpg
http://bit.ly/cb1peH
http://www.artcyclopedia.com/masterscans/l7.html
エルミタージュ美術館に収蔵されているエドガー・ドガの「コンコルド広場」。
130年以上前に発表された有名な作品です。
以下、写真表現の歴史と比較してのメモ。


桑原甲子雄、アンリ・カルティエブレッソンのスナップは1930年代から
○ エーリッヒ・ザロモンのキャンディド・フォトは1920年代から
○ 熊谷孝太郎の函館のスナップは1920年代から
○ アルフレッド・スティーグリッツがベルリンから帰国して「終着駅」を撮ったのが1893年
○ ピーター・ヘンリー・エマーソンの自然主義写真が1880年
エドワード・マイブリッジの連続撮影実験が1877年


◇「19世紀フランスにおける写真と絵画」についてのコメント(村山康男)
http://db.tamabi.ac.jp/FMPro?-DB=facultyworks.fp5&-Format=facultyonweb/maina.html©right=on&no=128&-Find
ドガ ― 作られたまなざし(喜多崎親
http://old2.josuikai.net/josuikai/21f/58/kita3/main.html
◇ 実はお宝ワイセツ画像?! ドガの踊り子スナップショット(盗撮) - ぼくのWeblog
http://dancex2.cocolog-nifty.com/weblog/2005/05/___83bf.html

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070322#p3


◇ 19世紀フランス美術における写真の位置(特に絵画との関連を中心に)(05610045) - KAKEN

19世紀フランス美術における写真の位置(特に絵画との関連を中心に)
研究課題番号:05610045
代表者
1993年度〜1994年度
村山 康男
研究者番号:40190938
多摩美術大学美術学部助教

写真の発明(1839年)から1870年代に至るフランスの美学、写真理論、美術批判、文科史関連文献資料の収集と整理、研究を中心として進めて来た。ドラクロワの美術論、日記、ボ-ドレ-ルの美術批評、ク-ルベ、シャンフル-リらの美術論、テ-ヌの美学等の読解を進め、それと平行して、当時の代表的な写真家の写真美学との比較を行なった。その結果、ロマン派から写実主義にいたる美術理論は、「犠牲の理論」(無用な細部を犠牲(省略、選択)にし、全体的効果を高めるという主張)として捉えられるが、この理論が当時の写真美学にとっても基本的な骨格となっていることが明らかになった。 この理論は伝統的な美学(選択的模倣の理論)の枠の中にある。それに制約されていたためにこそ、当時の画家、写真家、美術批評家等は、写真の新しいメディアとしての特性(新しい構図法、偶然性の強調等)を積極的に認めることができなかったことを我々の研究は明らかにした。 我々が画家の個別研究では、ドラクロワやモネが写真の新しい特性に対して否定的であったことを明らかにしたが、このことは上記の制約からして当然といえる。 画家の個別研究では、特にモネに関して研究を進めた。我々はテ-ヌ著『知性について』の研究によって、彼の知覚心理学が、モネの筆致の使用法を理論的に裏づけていることを明らかにした。モネの画業が、当時の写真よりもテ-ヌに多くを負っていることは、19世紀中葉のフランス美術における写真の位置を象徴的に示しており、我々の研究にとって大きな成果と言える。

http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/05610045