Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

日本の芸術写真──写真史における位置をめぐって 特別講演録(2011年4月16日)

では、写真における表現という観点で写真史をみた場合、ピクトリアリズムの時代においては、残念ながら表現を基準にした写真の歴史、つまり「通史」は書かれてきておりません。それがはっきり書かれるのは、1920年代の終わりから1930年代にかけてです。近代的写真表現というものを追求していくなかで、写真の歴史というものが書かれていくのです。図録にも書かせていただきましたが、『写真眼 Foto Auge』(1929年)という写真集のなかにフランツ・ローの「メカニズムと表現」という文章があります。そのなかで写真の歴史を初期の時代、頽廃の時代、現在と三つの時代に分け、初期の時代はよかった、次のいわゆる芸術写真の時代はよくなかった、そしてそれを否定することによって今後の新しい表現が生み出されていくと書かれています。この歴史観によって、その後さまざまな写真の歴史が書かれてきていますが、その基本的な枠組みはずっと崩れてきておりません。たとえば、ボーモント・ニューホールというアメリカの写真の歴史家が書いた『写真の歴史──1839年から現在までThe History of Photography from 1839 to the Present Day』(初版1949年)でも基本的にその枠組みは踏襲されておりますし、ほぼ同時期に写真の歴史について興味を持ち書き始めたヘルムート・ゲルンシャイムの『世界の写真史A Concise History of Photography』(1965年)にも共通していると思います。日本でも、たとえば田中雅夫さん(『写真130年史』1970年)とか、伊奈信男さん(『写真・昭和五十年史』1978年)なども、やはりその基本的な枠組みは踏襲されております。

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